カナダでキャリア模索中の30代の日常

カナダのトロントでワーホリ終了後にカレッジで幼児教育の勉強をしました。オンタリオ州のRECEとして働いた後、現在は発達障がいの方を支援する非営利団体に勤めています。

今年でカナダ歴3年になる私がトロントに来た経緯

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私のカナダ歴は、2018年にワーキングホリデーでカナダに1年住んだ後日本に帰国、そして2020年にカナダに戻って来てカレッジに入学しました。現在は公立カレッジ卒業生が取得出来るPGWPという就労ビザでカナダに滞在しているのですが、今年の末にはカナダ在住歴3年になります。そんな私がなぜカナダのトロントに住むことになった経緯についての記事です。今回はかなり個人的な内容になります。

私は今30代なのですが、20代はずっとアメリカに住むのが夢でした。当時、音楽関係のイベント業界で働き、主にHip HopやR&B、ReggaeやAfrobeatsなどブラック・ミュージックを扱うDJやアーティストと一緒に仕事をしていたのでその音楽の本場であるニューヨークに住むことに憧れていました。2013年にアメリカに住む為のビザの手続きを進めていたのですが取得しようとしていたビザが却下されてしまい、その後はアメリカに住む夢が厳しくなってしまいました。その翌年の2014年、自分の育ての親である祖母に末期の癌が見つかりました。私は9歳の時、母を癌で亡くしているのでそれ以来祖母が母親代わりでした。なのでしばらくは日本に留まり祖母の最期を側で見届けようと決めました。今でも当時を思い出すとアメリカに行けなかったのは祖母と最期に過ごす為だったのかなと思います。祖母との生活終えた後、海外に行く夢を諦め切れなかった私はニューヨークと似た音楽カルチャーが存在していると聞いていたトロントに興味を持ち始めました。初めてトロントを訪れたのは2015年の夏でした。トロントの音楽シーンが一番盛り上がるカリバナの時期を狙って1ヶ月程滞在しました。ちなみにカリバナは北米最大級のカリビアン・カーニバルです。

CaribanaToronto.com

https://www.caribanatoronto.com/

DrakeもOVO Festivalというコンサートを毎年カリバナの時期に開催しており、アメリカからもHip Hopのアーティストがたくさん来ます。こちらのイベント関係の方や日本で一緒に仕事をした事のある友人などがアテンドしてくれ色々な音楽の現場を見ることが出来ました。音楽シーンだけでなく、トロントのマルチカルチャーをとても魅力的に感じた私はワーホリでトロントに戻って来ることに決めました。1ヶ月の滞在後、日本に戻ってからは仕事の機会も増えて生活が順調に行っていたのですぐにカナダに戻って来るつもりでした。しかし、イベント業界の仕事は不規則で寝不足になりがちなのもあってか、2016年に急な体調不良で倒れてしまいました。病院で胃カメラや脳のCTなど色々な検査を受けたのですがはっきりとした原因が分からず、最終的に自律神経失調症だと言われました。その後、仕事に復帰出来るまで1年くらいかかったので、当時は先が見えずとにかく辛かったです。そして、体調が回復して来た2017年にワーホリビザの申請をし、取得することが出来たので無事に2018年にカナダにワーホリでやって来ました。

ワーホリでカナダに来た時点で何となくもう日本には戻りたくないと思っていたので、カレッジ進学や永住権のことについても漠然と考えていました。一番たくさん悩んだのはカナダでも日本と同じフィールドで挑戦し続けるのか、カレッジで新しいことを学び転職するかでした。カナダに来てからアルバイトをしつつ半年程自分のこれからの人生について考えた末、カレッジで新たに幼児教育を学ぶことにしました。そして、カナダに来て3年たった現在、ECEとしてトロントで働いています。今はカナダで初めて就職したばかりなので心身共にいっぱいいっぱいですが、数ヶ月後には余裕が生まれていることを願います。

来たばかりやカレッジ入学当初は英語で苦労しましたが、カナダに来て3年の今は日常生活やECEとして働く上で英語を使う不便さはなくなりました。トロントは物価や家が高いなどの問題はあるものの、日本にいた時に比べてより環境が多様で人に対して寛容ですし、日本よりトロントの方が生きやすく自分に合っているなと現在感じています。なので来年には永住権を取得して、今後の人生をカナダで過ごそうと考えています。以上私がカナダのトロントに来た経緯でした。